【仕事の達人】 TABLE FOR TWO International 理事兼事務局長 小暮真久氏
環境問題や貧困への取り組みが地球規模で進む中、
日本における社会事業への理解は
遅々として進まない。
そんな現状を憂い、この分野に果敢に身を投じた
元コンサルタントがいる。
TABLE FOR TWO International
理事兼事務局長の小暮真久氏だ。
35 歳にして「天職」と巡り合った彼のキャリアに迫る。
取材・文/吉田燿子 撮影/竹井俊晴
早稲田大学理工学部を卒業後、スインバン工科大学(オーストラリア)で人工心臓の研究を手掛けて1999年に修士号取得。マッキンゼー・アンド・カンパニー東京支社に入社し幅広い分野のプロジェクトで活躍。同社ニュージャージー支社勤務を経て2005年松竹に入社。2007年NPO法人TABLE FOR TWO Internationalを創設し、現職に就任
「自分がやるべきことなんだ」 そう思える仕事こそ天職

途上国では多くの人が飢えと貧困に苦しみ、先進国では飽食に伴う健康問題が取りざたされている。南北問題はいまだ改善の兆しを見せず、21世紀を迎えた今も経済格差は世界をむしばみ続けている。そんな中、画期的な発想と明快な事業モデルによって、2つの問題の解消に尽力している団体がある。2007年に発足したNPO法人TABLE FOR TWO International(以下、TFT)だ。
TFTの事業内容は次の通り。まず、社員食堂を持つ企業などと提携し、低カロリーで栄養バランスのとれた特別メニューを提供する。メニューの価格には20円を上乗せし、その20円はアフリカの子どもたちの給食1食分に充てられる。この活動を通じて「地球規模の食の不均衡を解消する」のがTFTのコンセプトだ。現在は伊藤忠商事や日本IBM、全日空などの大手企業を中心に、大学の学食などにも導入が進められている。
TFTの実質的なリーダーを務める小暮真久氏は、実に多彩なキャリアの持ち主だ。人工心臓の研究で修士号を取得後、マッキンゼー、松竹を経てTFTに参加した。「社会の役に立つことをしたいという漠然とした思いはあった」という小暮氏だが、一足飛びに「天職」に巡り合ったわけではない。小暮氏はどのような転機を経験してきたのだろうか。
「僕たちの本当の気持ちは君には分からない」

1990年、早稲田大学理工学部に進学。モヒカンにピアスという奔放なスタイルで海外20カ国を旅して回った。オーストラリアのスインバン工科大に4年間留学し、人工心臓の研究で工学修士号を取得。帰国後は医療機器メーカーへの就職も考えたが、あまりにドメスティックで窮屈な大手メーカーの実態に失望し、友人に勧められてマッキンゼーの面接を受けた。
1999年にマッキンゼーに入社すると、ヘルスケアをはじめとするさまざまな分野を対象に、組織改革・オペレーション改善・営業戦略などのプロジェクトに参画。持ち前の情熱と対人スキルの高さを武器に、小暮氏は徐々に存在感を発揮していく。だが、クライアントとすぐに仲良くなれる人間力の高さとその性格は、徹底した論理思考を旨とするコンサルタントにはもろ刃の剣でもあったようだ。
最初の試練が訪れたのは入社2年目。未経験分野のプロジェクトを担当した。上司は若くして“マッキンゼー・ウェイ”を体得した社内屈指の切れ者で、業界最高峰と言われるマッキンゼー流の問題解決法を徹底的に叩き込まれた。
「どんなに努力しても結果が出ない日が続いて、正直泣きたいほどつらかった。でも、当時の上司から学んだことが一番役に立っているのも事実。どこに行ってもやっていける自信が付きましたね」
入社6年目にニュージャージー支社に赴任。そこで手掛けた製薬会社の組織変革プロジェクトが、小暮氏にとって大きな転機となる。プロジェクトを成功に導いた後、十二分に信頼関係を築けていると確信していたクライアント企業の社長の言葉に、小暮氏は大きなショックを受ける。
「君は事業会社に勤めたことがないから、僕たちの気持ちの本当のところは分からないだろうね」
自身としても、コンサルタントの仕事に限界を感じていたころだった。帰国後、社長の言葉に背中を押されるように転職活動を開始。「感性やクリエイティビティの色が強い業界に行きたい」と考え、2005年に松竹へ入社、経営企画を手掛けることになる。
誰かのためになっている実感を持って働きたい

とはいえ、外資系ファーム出身の新参者が、1世紀以上の歴史を誇る日本企業の水になじむのは容易ではなかった。事業部の業務改善をはじめ、子会社の経営改善や海外メディアとのM&Aなども提案したが、「それは君の仕事ではない」と言われることもしばしばだった。縦割りの組織の中で身動きが取れず、悶々とする日々。自分の気持ちを満たせる仕事は何なのか。半日かけて模造紙1枚に自分の想いをつづった結果、3つのキーワードが見えてきた。それは、「新しいことを生み出せる環境で」、「その価値観を共有できる仲間とともに」、「誰のために働いているのかを実感できる」仕事だと。
その時、ふと脳裏をよぎったのはニューヨーク時代の見聞だった。NPOといえばボランティアと思われがちな日本と違い、アメリカでは社会事業がビジネスとして確立している。かつてインドのニューデリーで見た、孤児たちの輝くような笑顔がよみがえった。僕の居場所はもしかしたら社会事業にあるのかもしれない ――。
日本の社会事業について猛然と調べ始めたものの、希望に合う団体は見つからず、志を同じくして議論できる相手もいない。苦悩のさなかで出会ったのが、マッキンゼー出身の社会事業家・近藤正晃ジェームス氏だった。近藤氏からTFTの構想を聞くうちに感じた興奮を、小暮氏は今でも覚えているという。
「TFTには、世界規模で貧困と飽食の問題を同時に解決できる可能性がある。何としても参画したいと強く思いました」
世界的に認められる日本発の社会事業を目指す

松竹を退社し、2007年8月TFTに参加。事務局長としてTFTの事業化を一任された。だが、いまだ社会事業の草創期にある日本での立ち上げは、想像以上に困難だった。収入も以前の3分の1以下に激減。しかし、何よりも驚き慌てたのが「NPO法人の認証申請すらされていなかった」ことだと小暮氏は振り返る。
「組織が無いので、銀行口座が個人名でしか作れず、寄付金の振込先が小暮の名義になってしまう。こんな組織を信用してほしいと言う方が難しいでしょう(笑)。内閣府の審査が終わる数カ月間、思うように活動ができず、本当に歯がゆかったですね」
NPOに対する日本社会の無理解にも大いに悩まされた。「怪しい団体」だと勘違いされ、訪問先から追い払われたこともある。また、NPOを無給のボランティア活動と考えている人も多く、寄付金の一部がTFTの運営費やスタッフの給料となることに難色を示す人も少なくなかった。
ともあれ、時を重ねるごとに理解者や賛同者の輪は確実に広がっていった。自由でクリエイティブるほど「自分に向いている」と実感するようになった。現在、TFTは1000社との契約を目標に掲げ、ニューヨークのNPO法人設立事務局を皮切りに、海外展開も進めている。
「いずれはTFTを、世界的に認められる日本発の社会事業に育てていきたい。世の中をより住みやすくするためのしくみを、ビジネスとしてプロデュースしていきたいですね」
人工心臓の研究、戦略コンサルタント、エンターテインメント企業の経営企画を経て社会事業家へ――。「回り道」をしながら35歳で天職に出会ったことを、小暮氏はどう感じているのだろうか。
「成功するかどうかよりも、自分がこれだと思える道を選び、人生に悔いを残さないことが大切。天職に巡り合うためには、自分に合った方法を選べばいい。人との出会いや直感を信じて前に進めばいいのではないかと思います」
実際、過去の仕事の経験はすべて今の仕事に活きていると小暮氏は言う。マッキンゼーでは問題解決法やビジネスセンスを学び、松竹では組織の力学や意思決定のしくみを学んだ。それらはすべて、35歳でたどり着いた「天職」に取り組む上で、欠くことのできない貴重な学びとなった。
「多くの人は、確固たるものをつかむまでは悩むことも多いと思います。思い通りにいかなくてもすぐに仕事を放り出さず、しばらくもがいてみた方がいい。自分なりの結論が出ないうちに仕事を変えていたのでは、新しい気付きや思いが醸成されない。自分にウソをつかず、自分の想いに素直に生きることが大切だと思います」











