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【仕事の達人】 株式会社グローバルヘルスコンサルティング・ジャパン 代表取締役社長 渡辺幸子さん

【仕事の達人】 株式会社グローバルヘルスコンサルティング・ジャパン 代表取締役社長 渡辺幸子さん

今、医療制度の変化が日本の病院を大きく変えようとしている。
これまでの出来高払いに基づく診療報酬の支払いから、
疾病群分類ごとの包括制度への移行しつつあるのだ。
2004年に設立された病院コンサルティング・ファームの
グローバルヘルスコンサルティング・ジャパンは、日の出の
勢いで日本の病院コンサルティング市場を開拓してきた。
日本全国約700もの医療機関を分析してきた同社の
業績拡大に大きく貢献してきたのは、社長の渡辺幸子さんだ。
脳神経外科の看護師から社会人人生をスタートした彼女が、
日本で最先端を走る病院コンサルティング企業の
トップを務めるまでになったのか。その秘密に迫る。
取材・文/編集部 撮影/赤松洋太

脳神経外科の看護師として日本を代表する急性期病院で勤務。その後、慶應義塾大学経済学部に入学し、米ミシガン大学へ留学。医療経営学、応用経済学の2つの修士号を取得。帰国後、ジョンソン・エンド・ジョンソンのコンサルティング事業部などを経て、2003年に米グローバルヘルスコンサルティングのパートナー、2004年より現職。著書に『“患者思い”の病院が、なぜつぶれるのか?』(幻冬舎メディアコンサルティング刊)がある

日本に「新しい病院経営」を紹介する女性経営者



日本の医療業界で、グローバルヘルスコンサルティングという医療経営コンサルティング・ファームが今、注目を集めている。強みは、圧倒的なデータ分析能力を備え、その分析結果を医師に直接に伝えて病院改革を実現するプロ集団であること。医療経営先進国の米国では、各種病院の経営数字についてのコンサルティングだけでなく、医療の質についても多角的に分析して課題を可視化(データ化)しているが、そのようなノウハウとスキルを日本に紹介している会社だ。

その日本法人が、2004年に設立されたグローバルヘルスコンサルティング・ジャパンである。日本では昨今、疾病の種類に応じて一日当たりの入院費用が定められる「DPC(包括払い制度)」が普及し始めている。これまで、投薬や手術、検査などを実施した分だけ診療報酬が得られる出来高制度が主流だった病院側からすれば、DPCの普及に対応するためにコストコントロールがいっそう重要な経営課題になりつつあるのだ。

一方で、病院選び・医師選びに対する患者側の見方がシビアになっている風潮から、提供する医療サービスの質を向上することも病院存続の生命線となっている。

「この大きな変動期に、日本でも病院経営の新しい成長戦略を生み出せるはず。そして、グローバルヘルスコンサルティングは、米国仕込みのデータに基づいた経営面と医療の質の双方からコンサルティングを提供できます。だから、わたしはそれを活用していくことで、今こそ日本の病院をより良いものに変えていく絶好機だと捉えています」

そう話すのは、グローバルヘルスコンサルティング・ジャパンで代表を務める渡辺幸子さん。2004年の就任以来、冒頭で説明したような同社の急成長を実現してきた張本人だ。

今日、病院経営コンサルティングのプロフェッショナルとして、全国各地の病院で病院長や医師の信頼を一身に集めている渡辺さんだが、彼女の社会人人生もやはり、一人の医療従事者として病院を舞台にスタートしている。

人生の転機をもたらした医療経済・経営学との出合い



渡辺さんは脳神経外科担当の看護師として、社会人の第一歩を踏み出した。数年間、臨床を経験した後、慶應義塾大学へ進学。そこで出会ったのが、日本の医療経済学の第一人者である田中滋教授だった。これが渡辺さんにとって人生の転機となった。

初めて「医療経済」という学問に触れ、田中教授のゼミで鍛えられた渡辺さんは、さらに知識を深めるべく米ミシガン大学への留学を決意する。

「実は病院に勤めていた時から、煩雑な作業プロセスや医療記録の重複とか、『何でこんなにムダが多いんだろう』と思っていたんです。しかも、多くの医師や看護師はそのムダに気付いていないか、気付いていながら誰も変えようとしない。そこで感じていた疑問が、医療経済や医療経営を知ったことで、はっきりとした問題意識に変わっていきました。平たくいえば、わたしの中で何かが開けたんです」

一度火がついたら、一直線に突き進む。それも、転機をつかめた一因だろう。米ミシガン大学留学ではクラスのほとんどがアメリカ人。日本人が一人もいない中、「目的がはっきりしたら一気に集中してやるタイプ」という性分で、大学を卒業するころには、医療ビジネスについての高度な学問をマスターするほどに成長。自然と業界内での人脈も広がっていた。

仕事にかける情熱が、突然のスカウトを呼び込む



渡辺さんの第二、第三の転機は、この人脈がもたらしてくれた。日本に帰国後、藤沢薬品工業(現・アステラス製薬)で在宅医療の推進事業に携わっていた先輩に誘われて再就職し、そこで実績を積んだ後、ジョンソン・エンド・ジョンソンの病院コンサルティング事業部に転職する。「病院経営コンサルティング」の世界に初めて触れたのはこの時だ。

当時の役割は、顧客となる病院のコスト削減を支援すること。看護師時代に感じていた「ムダ」を是正する仕事に、渡辺さんは今までにないやりがいを感じるようになっていった。

「しかし、残念ながら、コンサルティング事業部は廃止が決定されたんです。コンサルタントはクライアントの利益を守り、中立の立場で仕事をする責務を負っていますから、必要となれば機器や医療材料のコストに関しても躊躇なく進言していました。その結果、ジョンソン・エンド・ジョンソンの本業と利益が相反するケースも出始めてしまった。そこで、まだまだ市場でわたしたちを求めている病院の声に応えようと、当時の仲間たちと新会社を立ち上げることにしました」

その新会社での役職は「取締役」。そこでも、渡辺さんの仕事にかける情熱、特に「新しいことをやりたい」という欲求は、尽きることがなかった。

コスト削減だけでは本当の意味での経営改革にはつながらない。病院の成長戦略そのものを支援する仕事もやってみたい。そんな思いが芽生え始めていたころ、突然、米グローバルヘルスコンサルティング会長であり、国際的に著名な医療経済学者でもあるアキよしかわ氏からスカウトのメールが届く。

日本法人の立ち上げに際して、社長になってほしい――。ジョンソン・エンド・ジョンソンに勤めていたころ、業務提携に向けた商談で何度か会ったことのあったアキよしかわ氏は、渡辺さんの病院改革にかける情熱やその仕事ぶりを見込んで、日本市場の開拓を彼女に託したのだ。

フットワークの軽いフラットな組織を



設立7年、社員数はまだ約30名(2010年6月現在)という小規模ながら、医師、看護師、薬剤師、放射線技師などの専門家で構成された医療のプロ集団であるグローバルヘルスコンサルティング・ジャパンには、時に対応できないほどのコンサルティング依頼が寄せられているという。この成長の背景には、当然ながら渡辺さんの経営ポリシーがある。

例えば、組織を極力平たいレイヤーに維持するというこだわり。さまざまな分野の専門知識を持つ社員同士が平等につながることで、グループとしてのパワーを高めていくという狙いのほかに、ヒエラルキーを作らないことで風通しが良く、創造的な環境を作りたいと考えているからだ。自主性を発揮できる環境があって初めて、社員の持つ志や高い専門性を最大限に活かすことができ、結果的に顧客の信頼が得られると実感してきたからだろう。

また、新しいことにチャレンジし続けたいという信念で、新規事業にも積極的に取り組んでいる。2010年8月には、冒頭で紹介したDPCデータから分かる入院医療に関する診療情報を、地図情報や全国の病院の基本情報と組み合わせ、同社の持つ分析ノウハウを駆使しながら一般の人に分かる形で“翻訳”して伝えていくWebサイト『病院羅針盤』をオープンする。

「このサイトは、患者さんやご家族が自分にとって最適な病院を探すための情報源として使ってもらうために開発しました。これまでやってきた病院経営コンサルティングとは毛色の異なる事業ですが、わたくしどもが最終的に目指しているのは患者さんの便益に最大限に貢献するということ。日ごろ感じていた、患者さんと病院の間に広がる情報格差を少しでも是正したいと、社員と相談して始めたんです。会社の行動規範として『自由と創造』、『責任と結果』、『誠実さと謙虚さ』の3つを掲げている以上、社員にも、まっとうな思いを大事にしながら、自由にビジネスを創っていってほしいと思っています」

ちなみに、冒頭で紹介した慶應義塾大学の田中教授が渡辺さんに付けたあだ名は「ワタゾネス」だそうだ。アマゾネスに引っ掛けた命名だ。細身で華奢だが、行動力とエネルギーに満ちた渡辺さんのキャラクターを象徴している。これからも、成長企業の社長として、渡辺さんのチャレンジは続いていく。

日本の病院経営の、新しいスタイルを生み出す力になりたい―渡辺幸子


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